※ゼロバレ、ゲン藤ほんのり


 歪みと腐蝕と


   023:軋む身体


 ぬろ、と紅く燃える舌が藤堂の焼けた肌を撫でる。身じろいで逃げようとするのを阻むのは驚くほど華奢な腕だ。戦闘どころか日々の暮らしにも障りがあるのではと思うほどだ。牛乳を思い出させるような白い肌は今は上気してほんのり色づく。唇と目元の紅さが蠱惑的だ。るる、…しゅ。震える藤堂の唇にルルーシュが噛み付く。呼ぶなよ。がり、と皮膚をちぎる音がした。頤まで垂れる紅い雫をルルーシュが舐めとった。お前、少しは痛がれよ、つまらないな。痛くない。ふん、ホントにつまらないな。ルルーシュは怜悧な容貌を冷え込ませて藤堂の体を突き飛ばす。ルルーシュが執拗に藤堂を突き飛ばす。たまらず寝台から転げ落ちる上にかぶさってくる。尖った膝が藤堂の腹を押す。嘔吐きに痙攣する喉や口元にルルーシュはうっとりと目を眇めた。紫水晶の双眸は歪んだ悦楽に潤む。
「そんな顔するなよ、もっとひどいことしたくなるだろ?」
藤堂の手や指が無為に床の上を掻いた。ごつ、と当たる硬い感触に目を向ける。冷たくも微温くもないのっぺりとした仮面。仮面だと判るのは頭部を覆うからだと識っているからで、口はおろか目も鼻もないその球面は胡散臭いだけだ。
 不意に重みが退いた。もっと面白いことをする。意味が判らない藤堂にルルーシュも説明しない。ひょいひょいと脱ぎ散らかした衣服を仕分けると藤堂のぶんを放ってくる。飯は食べてもいいけど。ルルーシュの言葉が切れた。いやいい。どうなるかはお前次第だからな。藤堂は黙って服を着た。情報が十分に降りてこないことや故意の塞き止めには経験がある。その果てに被る痛みには慣れない。だが藤堂はそこをどう改善すればよいのかもわからないからそのままだ。結果として繰り返す。相手が変わるだけだったから次第に倦んで諦めた。物分かりの良し悪しに関係なく憎まれるなら何もしたくない。
「お前のそういうところが腹立たしい」
不意にぶつけられる言葉に藤堂は怯みもしない。ルルーシュの気性や癇性は幼い頃からのものだ。藤堂がまだ少年を相手に道場を開いていた頃、ルルーシュに引き合わされた。事情のある滞在と威嚇する猫のような印象しかない。道場の門下だった枢木スザクという少年が間を取り持った。
 火花が散るように早い発火は同時に長続きしない。ルルーシュはすぐに自分の方でも支度を整える。この団体においてはルルーシュはルルーシュではなくあののっぺりとした仮面のゼロとして君臨する。藤堂が腹心とともにこの団体へ所属を決めると彼の方から接触してきた。口の堅さは信用しているよ。嘲りうそぶく紅い唇に呑み込まれた。初夜の際には衝撃と痛撃で藤堂は寝台から起き上がるのがやっとだった。ルルーシュは壊すように手ひどく藤堂を抱いた。その後も何度か私的な連絡を受け取り、爛れた関係は継続している。
「藤堂」
支度を終えて襟や袖を調節する藤堂にルルーシュの紫苑は艶然と笑った。
「枢木のことはもう過去か?」
薄く開いた口元を引き締めて藤堂は背を向けた。歩く度に体の奥ばかりが灼けるように痛んだ。


 しばらく呼び出しが途絶えた。所属団体も暇ではないから藤堂は日々の雑務に勤しむ。付き合いの長い部下もいるし、彼らは藤堂を大事にしてくれる。それでも食が細る。なんとか腹へ詰め込む食事の味がしない。ルルーシュが食事に言及しかけたことを思い出しては肩を落とす。その匂わせ方に藤堂は苦いでは済まない記憶がある。枢木スザクに思いが至った時にルルーシュが枢木と呼んだことが引っかかっている。彼らは幼なじみであるから下の名前で呼び合っていた記憶がある。言葉尻一つで世界を相手にするルルーシュに限ってたまたまとは思えなかった。
 枢木ゲンブ。藤堂の腹の奥が不穏だ。胃袋が痙攣しそうだった。道場へ顔を出すゲンブは藤堂をひたすら殴っては抱くのを繰り返した。しかも着衣で隠れる胴部を狙う、という小狡さもない。ベルトで殴られた頬や首には明らかな裂傷と鮮血が走った。藤堂の方から関係を断ちたいと一度言った。辛苦に耐えかねた。結果として藤堂はありとあらゆるものを吐き出して腹の中を晒して惨めに捨て置かれただけだった。泣きながら後始末をして道場の戸締まりをし、治りかけた頃合いに関係は再開する。その繰り返しだ。藤堂が覆せるような優しい関係などではなかったのだ。
 携帯通信機器が不意に鳴動した。団員同士でのやりとりや連絡を基本的に担うものだ。送り主はゼロ。文言はない。画像データ? ゼロの指令は文字にこだわらない。映像や直接対話、一方的な文章と情報であればありとあらゆる媒体を使う。通路を闇雲に歩いていただけだった藤堂は足を止めて画像を開く。それが何であるか識った瞬間、せり上がる吐き気に藤堂は反射的に通信機器を隠しへしまった。口元を抑えて早足に歩く。人気がない場所を選ぶ余裕もない。しまいには駆け出す。そのまま便所へ直行した。個室の扉を閉める時間も惜しくそのまま便器に嘔吐した。ざわめきが集まりつつあると知りながら嘔吐が止まらない。食事も胃液も全部吐く。
 「いいから散れって。邪魔邪魔」
まだ高い声。便所の仕切り戸を乱暴に閉めるのは朝比奈だ。朝比奈の強引な遮断に集まりかけたざわめきが散っていく。その気配を窺ってから朝比奈が藤堂に近づく。
「…大丈夫ですか? 顔、真っ白っていうか真っ青っていうか」
何気なく差し伸べられる手に胃袋が痙攣した。個室の扉を閉めて断ちきるのを朝比奈の心配そうな声が越そうとする。大丈夫なんですか? …すまない、へいき、だから。水流のレバーを引いて吐瀉物を流す。同時に嘔吐いて胃液や唾液ばかりがぼたぼたと頤を汚す。言葉がない。そのまま座り込んだ。何かを話そうとするだけで吐いた。鳶色の硬い髪がハラハラと額に散る。かき上げる気力がない。
「ゆっくりっていうのも変だけどムリしないでくださいね」
朗らかな朝比奈の声に縋りたくなる。仕切り戸を開け閉てする音がして、野次馬を散らす話し声がする。あんまり覗くとゲロかぶるよ。半眼になってからかう朝比奈の顔さえ浮かびそうになる。気負うでもなく自然とした響きにささくれた気分が和らいだ。このまま一生目覚めなければいいのに。


 人気がなくなってから動き出す。乱暴に拭った口元が擦れて痛い。のろのろした動きでゼロの私室への最短距離を行く。尾行があっても構わない。来訪の旨を告げれば施錠の解かれる音がする。扉を薄く開いて体を滑り込ませると扉を閉める。後ろ手に鍵をかける。部屋の奥へ行けばゼロが居た。目鼻の、ない。紡錘状のかたちと隙なく着こまれた衣服は舞台衣装のように華美だ。
「トイレにこもったらしいな? お前は思ったより繊細だ」
腹の中身は出しきったか? ここで出されても困るんだがな。嘲弄するゼロの言葉は音声の編成を経ているからどこか遠い。茫洋と聞くだけの藤堂にゼロが仮面を外す。気配がゆらぎもしない。ルルーシュの視線が藤堂につけつけと突き刺さる。

 「なぁ、藤堂せんせい。どうしてスザクを助けてやらなかったんだ?」

びりっと弾けるような痛みが藤堂の皮膚の上で炸裂する。血も傷もなくそれでも痛みだけがある。ルルーシュの紫色の視線は引き裂くように藤堂の体を舐める。

「救ってやらなかったウラギリモノめ」

吐き出すルルーシュの歯が軋む。藤堂の目元も口元さえも動かない。藤堂自身が自分を責めた。あの時スザクに手を差し伸べてやらなかった自分を忌んだ。汚辱と嫌悪と憎悪にまみれて藤堂はスザクに触れるのを躊躇して、そんな自分が赦せない。

「そのとおりだ」

素早く疾走ったルルーシュの手が掴んだものを藤堂にぶつけた。反射的に避ける体を抑えた藤堂のこめかみが裂けた。そういう大人の態度がオレは一番嫌いだ。藤堂の目が伏せたまま動かない。灰蒼が胡乱に床ばかりを見据える。
 「……つくづくお前が憎いぞ。枢木の家の呪縛はまだお前を縛る」
沈黙の返答にルルーシュがますますいきり立つ。そういう全部自分が悪いという面をやめろ、辛気臭い。ルルーシュの言いたいことが藤堂には判らない。藤堂が聞きかじっただけでもルルーシュが大人を恨む気持ちはわからなくもない。スザクと仲良くなるだけでもそれなりの変遷を経ている。ルルーシュの怨嗟が藤堂に向いているのかどうかが曖昧だ。藤堂を憎いといったその舌で枢木の家を言及する。論旨を明確にし矛盾なくまとめる彼とも思えない。
「言いたいことがわからない」
「判ってたまるか!」
激高に硝子さえも震えるような迫力が増す。

「護られるだけの揺り籠の中身を見もしないくせに」

引きちぎるような呪詛だった。
 「脱げ。オレがお前を抱くんだ」
藤堂は黙して襟を緩めると留め具を外す。傷痕だらけの体があらわになる。特に隠すでもないから知っているものは知っている。袖や裾のあるものばかり着るから見えないだけだ。ルルーシュがゼロの仮面を藤堂に投げつける。拾えよ、犬が。藤堂は黙って拾った。侮蔑にも罵倒にも慣れている。体の奥に疼痛が奔る。かつてゲンブに額づいた時にも藤堂はさんざん蔑まれてきた。軍属であることを蔑まれ道場で教えることを侮られた。お前のようなやつ。ルルーシュの玲瓏とした声とゲンブの胴間声がかぶって聞こえた。泣くほどの可愛げもない。ゲンブが踏みつける藤堂は吐瀉物に埋まった日もあった。土だかなんだかわからないものを口へ押し込まれた。吐き出せばなお突っ込んでくる。悪循環だ。
 気が付くと藤堂は仰臥していて床の感触を背中や肩甲骨へ感じる。髪を掴まれて引っ張られる。ルルーシュの表情が怒りとも悲しみともつかないもので歪んだ。お前は、まだ。浮いたところを一閃されて藤堂の意識が途切れた。

お前はまだ、枢木ゲンブ、の

指先が痙攣して意識が戻る。ルルーシュが高らかに嗤った。哄笑。憎々しげに言い捨てられた。

お前のその虚、何人殺してきたんだ?
それでも足りんようだな、まだ殺し足りない
まだ死ぬぞ
お前のその空虚に魅せられて近寄った奴はみんな死ぬ

「利用させてもらう」
紫苑と灰蒼が初めて交錯した。
藤堂の体が衝撃から立ち直る前にルルーシュが犯した。不具合に軋むばかりの音がする。


《了》

書きながらいまいちよくわからんかったん(おい待て)             2014年4月27日UP

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